金閣を建立した足利義満と銀閣を建立した足利義政の関係
2019.07.10
室町時代を代表する人物である足利義満・義政。
共に足利将軍として、後世に歴史を残します。
金閣を建立した足利義政と銀閣を建立した足利義政について紹介します。
足利義満の孫が足利義政
足利義満は室町幕府二代目将軍足利義詮の嫡男として生を受けます。
足利義詮は足利尊氏が着手した天下平定のバトンタッチを受けて、苦戦します。
しかし、大事な場面では義詮は絶対の力強さが光ります。
それでも、義詮は有力な諸大名を完全に統率はできませんでした。
そして、3代将軍足利義満の登場となります。
足利義満は有力な諸大名の勢力を一人ずつ削っていきます。
時に、副作用を生むこともありましたが、その半生で室町幕府は完成します。
絶対的な権力を保持できた義満は、貿易等でも社会をリードします。
絶大な親の力の反面で、4代将軍義持は義満の政策とは距離を置きます。
義持は安定した政権を築きます。
父とは政策も違いましたが、政治の安定は義満の事績といえるでしょう。
義持は後継者指名をせずに亡くなります。
そこでくじ引きで将軍になった6代将軍義教。
その子供が、室町8代将軍足利義政になります。
足利義満→足利義教→足利義政 となります。
つまり、足利義政は足利義満の孫となりますね。
北山文化に対しての東山文化
室町3代将軍足利義満は貿易で巨利を得ると同時に多くの舶来物を手に入れます。
また、この頃、中国大陸は政変が連続します。
そのたびに、前時代の価値観が捨てるように葬られます。
そんな前時代の価値観が貿易で日本に入ってきます。
足利義満はそれをコレクションにすることで将軍の権威向上を図ります。
また、金閣を建立します。
義満の死後、その遺言通り、金閣は鹿苑寺という寺院になりました。
そして、その義満の行動は孫である足利義政に非常に大きな影響を与えます。
足利義政は足利義教の5男に生まれます。
足利義満以降、幕府の政治は不安定さを増していきます。
その中にあって父義教の政治を見てきた義政。
義教は諸大名を抑えきることができず、赤松満祐に討たれます。
義政の兄、義勝が7代将軍となりますが、すぐに逝去してしまいます。
そして義政は8代将軍となりました。
東山御物は足利義満のコレクションでもある
足利義政といえば、東山御物ですね。
東山御物は実は足利義満時代からの足利家の所蔵品になります。
なので東山御物といえば足利義政ですが、義満も関係しています。
また、東山御物が足利義政伝来と言われているのには理由があります。
それは義政が流失してしまったという理由があるようですね。
義政から伝来したので、東山御物と言われるようになります。
また、義政は足利家の所蔵品を目録にしていますね。
君台観左右帳記です。
こちらに関しても、また機会があればご紹介したいと思います。
足利義満と足利義政の関係を紹介しました。
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