京都に織物の歴史がある理由

2018.11.10

西陣は日本を代表する繊維産業の産地です。
都市の中心に織物産業がある町は世界を見渡してもめずらしいです。
今回は、京都に織物の歴史がある理由を探ってみたいと思います。
京都に織物の歴史がある理由を考えてみました。

 

京都織物の歴史・・秦野河勝と織物産業

京に平安京ができるのは794年です。
それまで京は山城国の他地域と変わらないような地域だったでしょう。
山城の地は古代、秦氏が治めていました。
秦氏は渡来系であり、機を織る、つまり織物産業を主力産業としていた氏族でした。
秦氏の開墾した現在の京都市の地域。
織物との縁と考えると地域の成り立ちが織物だったと言えそうですね。

 

京都織物の歴史・・平安京と織物

794年、平安京遷都が行われ、京の町は日本の中心となります。
平安時代は貴族文化が盛んになります。
宮廷で女性が着飾るための衣装が必要になったでしょう。
平安時代の絵巻物にも衣装が描かれていますね。
その衣装は京界隈で作っていたのではないでしょうか。
必要とされることから産業化がすすみます。

 

京都織物の歴史・・花開く町民文化

そんな京の都では、室町期に足利義政が様々な舶来品などを鑑賞するようになります。
京はその舶来品・名品が集まる場所として栄えます。
そして、その名品を目指して多くの人が京を訪れます。

 

西陣は室町末期に起こった応仁の乱で西軍が陣を敷いた地です。
焼け野原になったところに織物業が発展していきます。
織物の需要が増えることは人が着飾って出ていく時代になったということですね。

 

そして千利休が登場します。
千利休は長次郎(樂家)を始め、刀商の本阿弥光悦などと共に、日本で作ることができる名品の生産を始めます。
それが今の茶の湯文化に息づくようになっていきますね。

 

京の町は戦国期にも何度も燃えています。
江戸期に本格化していったのでしょうね。
元禄文化などと共に、江戸時代は着物の文化が栄えていきます。
京の町は三千家が町民向けにお稽古を始めるようになります。
祇園祭りなどでも鉾に織物が使われるようになっていきます。
町人文化の発展と共に織物も発展したと言えるでしょう。

 

その後も明治・大正・昭和と着物文化は紆余曲折しながらも発展を魅せます。
特に戦後は、女性が外に出ることが増えたことで、着物を着る人が増えていきます。
西陣もこの発展に合わせて分業を進めていきます。

渡文も帯に特化した製造に変化していきます。
京の町は朝廷や貴族の文化から町人文化の発展と進み、その需要に合わせるように様々な産業が発展したのでしょう。

京都を歩くと製造業の方が大変多いことがわかります。
平日に西陣を歩くと、織機の音が聞こえてきます。
京都に織物の歴史がある理由を考えてみました。


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