大覚寺の歴史・華麗な宮廷の歴史と空海の教え

2018.12.31

京都嵯峨の大覚寺。

平安の貴族文化と空海の密教が織成す大覚寺文化。

大覚寺の歴史・華麗な宮廷の歴史と空海の教えを紹介します。

 

大覚寺の歴史

平安時代、嵯峨天皇は大覚寺のすぐ北東に離宮を営んでいました。

嵯峨天皇の信任を得ていた空海。
嵯峨天皇の離宮で空海が修法を行ったのが大覚寺の歴史の始まりです。

鎌倉時代には後宇多天皇が大覚寺を再興します。
また、後宇多天皇の父亀山法王から続く系統は大覚寺統と言います。
後深草天皇の系統の持明院統との争いは南北朝時代へと繋がります。

このように大覚寺の歴史は皇室とのかかわりが強い歴史があります。

大覚寺の歴史はその建物の雰囲気からも感じることができます。
お寺というよりもやはり御所のような雰囲気が漂っています。

大覚寺の歴史は皇室との深い関係のある由緒のある歴史がありました。

 

大学寺の歴史・空海の教えと真言宗

大覚寺の歴史で忘れてはいけないのが空海です。
空海は嵯峨天皇と同時代の人物です。

空海は中国に渡り、中国で衰退を迎えようとしていた密教のトップに就任します。

嵯峨天皇の父、桓武天皇は天台宗を熱心に保護します。

しかし、天台宗の宗祖最澄が密教の必要性を感じ空海に接近します。

また、空海は宗教者以上に洞察力などにも優れていました。

桓武天皇の皇子嵯峨天皇の代になると、空海という人物の名声は非常に大きかったようです。

 

嵯峨天皇は空海のすすめによって、般若心経を写経します。

その後、空海は大覚寺の僧に60年に1度必ず開封するように教えを残します。

大覚寺はこの空海の教えを今でも守り60年に一度嵯峨天皇の写経を開封しています。

大覚寺の歴史は消失と再興の歴史

大覚寺の歴史を観ると応仁の乱にほとんどの建物が消失しています。
それに対して、復興は江戸初期の寛永年間になります。

日本の寺院は戦災で焼失したまま、復興されずに廃寺になる寺院も多いです。

しかし、大覚寺のように歴史と由緒のある寺院はまた復興へと力が集まります。

嵯峨天皇が愛した嵯峨の地

当時、天皇が御所を置き、政務を行っていたのは今の京都市街です。
そして、今の大覚寺の北東に離宮を作ります。

嵯峨天皇にとってほっとできる場所だったのでしょうか。
奈良の平城京の外京に寺院が立ち並ぶのと同じ雰囲気ですね。

この時代の寺院は朝廷の人にとって息抜きや教えをいただける場所だったのでしょうか。

大覚寺の御所風の建物は他の寺院とは違う、何か雅な雰囲気があります。
ほっとしたいときに訪ねてみてください。

 

大覚寺の歴史を紹介しました。


お散歩スポットのご紹介

大覚寺

〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4

https://www.daikakuji.or.jp/

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