日吉大社の境内紹介と豊臣秀吉が受けたご利益
2019.06.27
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滋賀県大津市の北郊外の坂本。
比叡山の寺院・塔頭が並ぶ延暦寺のおひざ元です。
延暦寺の守護神を祀る日吉大社。
日吉大社の境内紹介と豊臣秀吉が受けたご利益を紹介します。
日吉大社の歴史
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日吉大社は古事記の記載のある伝承を持つ古社です。
平安期には京の鬼門に当たることから厄除け・災難除けとして信仰を集めます。
延暦寺の守護神ですが、延暦寺は京の都の鬼門を護る寺院ですね。
その寺院を守護する守護神が日吉大社になります。
日吉大社の神の使い神猿
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日吉大社は境内の鳥居のすぐ近くに神の使いがいます。
日吉大社の神の使いは猿です。
日吉大社の境内を護るという形で神猿と呼ばれる神の使いがいます。
猿は昔から厄除けと言い伝えられているそうですね。
日吉大社のご利益を最も受けたのは豊臣秀吉
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みなさまご存知の豊臣秀吉。
豊臣秀吉は幼名を日吉丸と言ったそうですね。
日吉は日輪の子と母の大政所は言っていたそうです。
そして、秀吉は後に天下を統一するようになりますね。
そして後に木下藤吉郎と名乗ります。
今回、日吉大社に行って驚いたことがありました。
それは日吉大社の摂社に樹下神社があるのですね。
ちなみに樹下神社はじゅげじんじゃと読むそうです。
きのしたとは読まないみたいです。
しかし字を見るときのしたとも読むことができますね。
日吉丸と樹下神社。
また、秀吉は信長の延暦寺焼討の際に多くの人を逃したともいわれています。
延暦寺の元三大師堂にはその際の情景を模写した額が飾られています。
ご縁があるのでしょう。
秀吉は後の延暦寺の復興にも携わっています。
織田信長が徹底的に攻撃した延暦寺。
次の権力者であった秀吉はその行為に対して考えるものがあったのでしょうか。
比叡山では豊臣秀吉は好意的に捉えられているようです。
豊臣秀吉は日吉大社の日吉を幼名でもらい、そして天下統一をしています。
日吉大社のご利益を最も受けたのは秀吉だったかもしれないですね。
日吉大社の境内紹介と豊臣秀吉が受けたご利益を紹介しました。