金戒光明寺境内のアフロの仏像
2019.05.10
金戒光明寺を訪ねましたので、話題のアフロの仏像も拝見してきました。
金戒光明寺の境内図とアフロの仏像を紹介します。
金戒光明寺の境内図
金戒光明寺は境内がとても広く、また境内には塔頭もあります。
金戒光明寺の境内はほぼ5分3が墓地・残りが宗教施設になります。
金戒光明寺の境内が広く、城郭のように作られているのには理由があります。
江戸期、徳川家康は自身の宗派である浄土宗の京都の寺院を改修します。
金戒光明寺と知恩院です。
その改修の理由は城郭のようにして他日に備えることでした。
御所の西南には二条城があります。
一方の御所の東側には金戒光明寺と知恩院があります。
東側の要所を抑えるという意味でもこの2つの寺院が重要でした。
金戒光明寺の境内は本堂を中心とした伽藍の部分と山門の下で段差があります。
山門の下では兵隊が勢ぞろいできる面積を確保したのでしょうか。
江戸末期には金戒光明寺には会津藩兵1000名が常駐します。
想像ですが、他の塔頭などにも分宿していたのでしょう。
戦時には山門の下に1000名が集合したでしょう。
金戒光明寺の境内には会津藩士のお墓があり、多くの藩士が眠っています。
金戒光明寺のアフロの仏像
金戒光明寺のお墓の中にアフロ姿の石仏があると話題になっています。
この金戒光明寺のアフロ姿の石仏の正式名称は五劫思惟阿弥陀仏といいます。
私も話題になっているということで境内の墓苑を訪ねました。
アフロの石像は墓苑の三重屋根の文殊塔に登る階段の横にあります。
石段は25段ほど登った北側にちょっと隠れるようにしてお座りです。
階段を普通に登っていると気付かないかもしれません。
ちなみに、アフロの五劫思惟阿弥陀仏は長い年月思案をすることで、髪が伸びて、螺旋状に螺髪のようになる姿でアフロのような頭になっているそうです。
今では金戒光明寺で最も著名なアフロ像。
参拝の折には境内の墓苑の石段を登って探してみてはいかがでしょうか。
金戒光明寺の境内とアフロの仏像について紹介しました。