金戒光明寺の墓・金戒光明寺に眠る偉人達の墓

2019.05.13

金戒光明寺のお墓は見晴らしが良い

京都黒谷。
京都御所から東に3kmほどの距離にある金戒光明寺。
京都の歴史に深くかかわってきた寺院です。

今回は金戒光明寺に眠る偉人達とお墓について紹介します。

金戒光明寺のお墓

金戒光明寺は鎌倉期以降、日本の歴史に深くかかわっています。
また、鎌倉期の仏教の特色として、お墓を持つ寺院です。
平安期までの仏教は国家鎮護の思想を元に国家を考える宗教でした。
寺院はいわば研究所であり、お墓や葬儀のない寺院でした。
しかし、鎌倉期以降の仏教は人を弔うことも役割になっていきます。
平安末~鎌倉期に建立された金戒光明寺は弔われた多くのお墓があります。

金戒光明寺の法然の御廟

金戒光明寺には浄土宗の祖法然が眠る法然上人御廟所があります。
法然上人は金戒光明寺の他、知恩院などにも分骨されています。

法然上人は比叡山で得度し、後に讃岐に流されるなど多難な生涯を送ります。
黒谷の地は法然が長い年月を過ごした場所です。
今はその地で教義の行方を静かに見守られています。

金戒光明寺に眠る偉人のお墓

金戒光明寺には多くの偉人のお墓があります。
金戒光明寺のお墓で最も著名なのは熊谷次郎直実のお墓です。
熊谷次郎直実は一の谷の合戦にて平家の若い公達を殺めたことを後悔し、出家した熊谷次郎直実のお墓があります。
熊谷次郎直実のお墓は平家の公達平敦盛のお墓に相対するようにあります。


他にも以下の方々が金戒光明寺に眠ります。
江戸時代前期の儒者山崎闇斎
徳川秀忠次男で徳川家光弟の徳川忠長
鴻池の先祖といわれる山中鹿之助
会津藩の遭難者352名が眠る会津墓地


金戒光明寺には多くの墓があります。
幕末の活動家桂小五郎は維新後に自分の墓を京の東山にすることを遺言します。
京都を見渡せる場所で眠りたかったといわれています。

金戒光明寺も黒谷の山の上にあるため、見晴らしの良い場所です。
金戒光明寺で京都を眺めながら多くのお墓に眠る偉人。

金戒光明寺のお墓と偉人の眠る墓を紹介しました。


お散歩スポットのご紹介

くろ谷金戒光明寺

〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町121

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